8月15日は終戦記念日

こんにちは、Keeyです。ちょっと早いですが、8月15日は終戦記念日です。
1945年(昭和20年)の同日、玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日でもあり、この日から長年続いた戦争が終わったということで「終戦記念日」と呼ばれています。
なので、この時期になると、終戦を題材にしたドラマや特番などを放送していることがよくあります。
実を言うと、私は戦時の話にすごく興味があって、この時代に生まれた人は普段はどんな生活や食糧を摂取していたのかな、とか、貧困な状態が続いていただろうから、きっとその中で栄養失調や飢餓などに罹って亡くなっていった人も多いんだろうな・・・とアレコレ考えながらイメージしています。
だから、たまに父親に訊くんですよ。「戦時の生活とかってどんな感じだったの?」って。
やはり、ある程度は「貧しかった」と言いますが、でもうちの父親の家系は百姓をやっていたそうなので、逆に恵まれていたらしいです。
他には原爆の話にも興味があります。
「原爆」と聞いて忘れてはならないのが、佐々木禎子さんの存在です。
彼女は広島の原爆で被害に遭い、後に白血病を発症し、僅かな命で生涯を閉じた時の人です。
そして、本人のシンボルとして有名なのが、千羽鶴です。
彼女が入院していた頃、病が回復するようにと言う願いを込めて鶴を折り続けたと言うのが、この由来のはしりと言われています。
しかし、結局は回復することなく、そのまま息を引き取ったそうです。
残酷ですね・・・その頃って、骨髄移植って既にあったんですかね?
もしあってドナーが一致すれば、助かったかもしれないですけど。
          

“「なんでホタル、死んでしもぅたんやろ・・」”                    
この台詞は、アニメ「火垂るの墓」で清太の妹・節子がホタルの墓を作っていた際に呟いた言葉です。
「火垂るの墓」も、戦時の話です。あらすじはこう言う内容です。
                              
◆太平洋戦争末期、兵庫県・武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は、6月5日に起きた神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の未亡人である兵庫県西宮市の親戚の家に身を寄せることに。
当初は共同生活はうまくいったものの、戦争が進むにつれて諍(あらそ)いが絶えなくなり、そのため2人の兄妹は家を出ることを決心し、近くの貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始める。が、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていく。清太は畑から野菜を盗んだり、空襲で無人の人家から物を盗んだりしながら必死に生き延びようとするが・・・。
しかし、節子の状態は更に悪化し続け、清太は銀行から貯金を下ろして食料の調達に走るも既に手遅れだった。やがて節子は終戦の7日後に短い生涯を閉じた。
また、兄の清太も栄養失調に侵され、節子を荼毘に付した後、身寄りもなく、三ノ宮駅に寝起きする戦災孤児の一人として野垂れ死ぬこととなる・・・。(“荼毘”とは「火葬」の意味)◆   
                                                                              原作は、作家の他に歌手やタレント、また政治家として活躍する野坂昭如氏の同名小説。
ある得た情報によると、この作品は本人の実体験が基なのだそうです。
そして、童謡でお馴染みの「おもちゃのチャチャチャ」の作詞も、実は彼が手掛けたものとか。
これは初耳です。なので、驚きました。「えー!?そうだったんだ」って。
いや、ビックリどころか意外すぎ・・・(汗)
最初はこの曲、作詞不詳だった時、てっきり宮川賢さんが担当したのかと思った(笑)。
本人も作家として活躍してると言うので・・・。
あ、作家は作家でも、また違ったジャンルに分岐されるのかな?
と、私はそう思うんですけどねっ。なんて、ハハハ・・・。

では、今日はここまで。See you~(^-^)ノ〃

カテゴリー: 日記/独り言 パーマリンク