「君の名は」という映画について

日本人は黒船がやってきて、開国を余儀なくされました。そして明治時代、日本のもとある文化を軽んじる傾向さえありました。

岡倉天心という美術運動家はそれに反対して、日本画の良さ、日本文化の良さを追究しました。しかし、それは主流ではなく、岡倉天心は失意のうちに隠遁生活をして暮らしました。

しかし、明治時代後半、その傾向は変わり、レベルが低いといわれていた、政治の中心にいた薩摩藩や、長州藩出身の人間が、政権を去り、日本は文化も政治も西欧諸国に負けない方向に進みました。外国に流出していた日本画を取り戻したりする動きがあったり、戦争で勝利して植民地化を進めたりしました。

このように明治、大正、昭和(敗戦の時代まで)は、日本という国がまとまって、西欧諸国に国に肩を並べたい、そのために国がひとつとなって、国民個々の幸せは犠牲にされる時代でした。

日本人は、そのような中央集権国家になる以前は、昔から個々の地方の文化がごく当たり前のように引き継がれ残っていました。もちろん明治時代以前は、日本という国の概念の範疇が、北海道、沖縄(薩摩藩のものだった)以外まとまっていたのは、大和朝廷が日本の色々な地方をまとめたから生まれたものですが。それでも朝鮮半島と親密で、百済という国と親交を持ったりしてました。日本という国の形を大きくしたいという欲望は日本の権力者には昔からあるときも、ありました。平安時代のように国のまつりごとは中国語で行うが、中国文化の影響は受けてないときや、江戸時代のようにのように鎖国していた時代もありましたが。

「君の名は」という映画は、神様にお供えするためにご飯を口に含み、発酵させたものを何千年も前から保管してあるという、現代の西洋化された日本人からすると少しおかしい風習が物語が始まるきっかけにになっています。それを主人公の男の子が飲むと、時代が何千年も前に戻ったり現代に戻ったり、その風習がある地方の女の子と心と体が入れ替わったり、場所が、東京とその風習がある地方を行ったり来たりという映画だったと思います。

私はこの映画を見たとき、日本人がそんなすごいことができる風習を持っているとは思っていなかったので、びっくりしました。そして最近、外国人観光客に日本の地方の人々が、日本の文化に触れてほしいと、色々とPRしているようなので、映画の中の話ではなく、日本人がそのぐらい、すごい文化を持っているとしたらいいなと思いました。

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