日本人は経営とはどうあるべきだと思っているか

二宮尊徳という人は日本人の勤勉さを象徴している偉人ですが、その人の言葉をネットで探してみたら「道徳なき経済は犯罪、経済なき道徳は寝言」という言葉がありました。私は、明治時代の人ではないかと思っていましたが、江戸時代末期の人でした。
それが印象深く頭に残っていたときに、クリティカルパス、つまり効率よく物を作ったり、物事を行ったりする手順についての考察の本を読んでいたら、書いている方が自分の主観をこの言葉に加えて「理念なき経済は犯罪、経済なき理念は寝言」と言っていました。今の日本人は、道徳から、理念の方にシフトしてきたのではないかということで、理念という言葉を使ったのだと思います。
まず、「道徳なき経済は犯罪」というのと「理念なき経済は犯罪」について考えてみると、道徳というと、商売をするときに、人の道に背くようなことがなければ、いいよということで、苦労して国を作ってきた日本人がこの人のことを尊敬してきた訳が分かったような気がします。理念というとエコノミックアニマルでなければ何でもいいよ、何のためにお金を得るか、という理由があればいいよということだと思われます。
「経済なき道徳は寝言」と「経済なき理念は寝言」について考えてみると、「経済なき道徳は寝言」というのは二宮尊徳が言い出した言葉で、それより昔の日本人にはなかった言葉だと思います。黒船が来て、富国強兵が始まった明治時代ではなく、江戸時代なのに、かなり厳しい言葉です。江戸時代は士農工商という身分制度で、身分は一番下の商人が経済を牛耳っていました。そんな時、幕府の経営を何とかしようというときに出てきた言葉だと思われます。「経済なき理念は寝言」というのは今の時代、数字の根拠さえあれば、先ほど書いたように、道徳から理念の方にシフトしてきていて、自由に発想していいよとということだと思われます。

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