文字、会話、算数の関係について

まず文字について。日本人や日本という国においては、日本語を使うと思います。ただし旅行で、外国人が来そうなところにはローマ字表記、ハングル語表記、中国語表記がありますね。私はそういう表記をしている鉄道会社や、バス会社はどういうきっかけでそういう表記をするようになって来た興味があり、ローマ字表記はかなり昔からあるからおいといて、ハングル文字の韓国(まさか北朝鮮用ということはありえないと思うので)、中国語の中華人民共和国(台湾、香港、東南アジアにも中国人がいるからそれも含まれますが)と今、日本はどういう関わり方をしたいのかということを知りたくて、ここ2、3年、それぞれ3日間、韓国のソウル、中国の上海に一人旅を試みました。初めに行った韓国は、久々の外国になれるためという意味もありました。中国に行きたいと思ったのは、日本と深いかかわりを持つ国なのに民主主義ではない、どんな事情があるか興味がありました。中国で感じたことは、前回のブログで書き、今回のテーマとは違うので、ここでは触れません。文字に関していえば、この3ヵ国(日本、韓国、中国)は、独自の文化として誇りをもっていると感じています。文字というのは、文化を先人のために遺す手段だと思います。

会話について。口伝ということと文字を持っているということは、そこが違う、つまり遺せるか遺せないかだと思います。また、物事を言葉にすると外側から見ている場合というのが結構あります。表現というのは客観的に見ていて、このブログで、最近の文学はそういうものだと、命削って書いてないよと、村上春樹を例にとって書きました。

算数について。数字は日常会話の中で、算数の四則計算を使います。足し算、引き算をスケジュール管理の会話の中で使い、掛け算、割り算は、割り勘する時などに使います。文字というのが、文化の先人の遺産を引き継ぐ手段なのに対し、数字は頭の中でくるくると、10進法、人間は、概ね5本2つの手をもっているのでそうなると思うのですが、それだけでなく、桁上がり、桁下がりするもする生き生きしたものだと思います。また。毎日数字は日付、曜日が変わり、このブログも、書き始めと今では時間が変わり、数字はどんどん進歩するものだと思います。

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