生き物としての人間、動物、植物について

コミュニケーションの手段としての言葉については、このブログでかなり書きました。そして人間だけでなく、動物もコミュニケーションを言葉でとっているのでは?そして口伝しているのでは?ということを前回のブログで書きました。これ以上のことは群れでペットを飼ってみないと何とも言えないと思います。

私の母は、何でもいいから、人間でもいいから、ペットになってくれるものが欲しい時期がありました。植物は父が、蘭やカニシャボテンなど育てていましたが、母は、人間よりも植物を大切にする父のやり方では満足できず、アルバイトでできた友達をペットにしようとかそういうことを考えていました。そして、それが終わると私をペットにしていました。今は一生懸命人間関係について学習し、そういう事はなくなりました。今は客観的に見れるようになったということだと思います。母の日にカーネーションの鉢植えを送ったらとても喜んでいました。
人間よりも植物を大切にする父のやり方も、父は指摘されると気づき、年金生活で、仕事のストレスがなくなり、母のことを認めるようになり、カーネーションは2年ぐらいたつと枯れるようになりました。母の日、2回目のカーネーションです。
私は、遅ればせながら、四十にして惑わずという心境になっています。

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