明治時代と平成時代の日本人のあり方、そしてその後の時代の日本人のあり方は??その2

前回この題名で書きましたが、この題名は中身が色々多岐に及んでも問題ないというか、大きい題名だったかなと思い、その2を書いてみることにしました。
明治時代初期、古来からの日本の文化が軽んじられていたことがありました。
先日、そのころ日本画を書いていた横山大観の展覧会に行ってきました。
この人は富士山を好んで書いたそうです。展覧会にも複数展示されていました。見ながら書いたのではなく、心象風景としての富士山です。はがきも売られていましたが、印刷ではなかなか伝わらない画家の表現、それは、富士山の冠雪の白が力強く、そして厳しさを伴っているというところです。
要するに自分は日本文化の継承ができているだろうか、このご時世、自分の心の状態は、西洋化の波に呑まれてしまっているのではないか、と自分を見つめなおす機会が富士山を描くときだったのではないかな、と感じました。
横山大観の活動は、明治時代、リアルタイムで、日本文化に影響を与えていました。その後、日本の政治家は薩摩藩や長州藩出身の人が去り、それをきっかけに日本文化は見直され、海外に流失した美術品が買い戻される動きも起こり、東京藝術大学も、岡倉天心が学長を務めていた以来途絶えていた、日本画を継承する動きが復活しました。ちなみに岡倉天心という人は日本美術院というコミュニティーを茨城県の田舎に立ち上げ、横山大観もそこで活動していました。今、再興されて岡倉天心の出身地、横浜で活動しています。 

明治時代の日本人のあり方は、アメリカやヨーロッパの国々と無理矢理ですが、肩を並べて行動していたため、日本文化も逆輸入だったといえます。

平成時代(もうすぐ終わる)は日本人のあり方は、一億総活躍社会ですね。超高齢化社会に突入し、安部さんが言っているように、高齢者も障害者も女性もみんなで力を合わせて、今までの外貨をできるだけ保ちつつ働ける人は必死に働かないといけないのでしょうね。

その後の日本人なんて先は読めない、これからの日本を束ねる人は、安部首相が今危ないわけで、いるのでしょうか?もっとも、日本人はこれから政治で、束ねられたくないと、思っているかなと思います。

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