日本人はいつから数字に強くなったか

日本の昔の書物、私が好きで、関心を寄せているのは、古事記、万葉集、源氏物語、といったところです。古事記、万葉集についてはこのブログでもふれました。参照「2017年8月28日万葉集について」

以前このブログでふれたように、参照「2017年6月22日やまとことばについて」「2017年9月4日万葉集についての続き」古事記、万葉集のころ日本は律令国家として、朝貢貿易をやめ、国家として自覚をもち、漢文、つまり中国語でまつりごとを行うけれども、表記は借り物の漢字だけれども、大和民族これも、倭、という当て字ではなく、和という当て字にし、中国とは違う文化圏を作り出しました。

しかしながら、中国の文化の自分たちなりの解釈、咀嚼なので、数字に強かったかどうかというのはどうだったのだろうと思います。

以前このブログでこれもふれましたが、今の数字というのはアラビア文化、インダス文明の文化だったわけで、中国の十二支十干の影響を受けた数しかありませんでした。参照「2018年4月26日中国文化と日本文化の関係は?」

そのまま、日本人は内向き、独自の文化を作って江戸時代まで来ました。

その文化は素晴らしい文化だと私は思います。

しかし、これもこのブログでふれましたが、天皇陛下が人間宣言を行った敗戦という出来事は、それ以降何かを神として拝み、神社を作ることをしなくなってしまうぐらい、人間は亡くなってから何年かすると氏神様になるというのはあるにしろ、日本の文化の大きな挫折だったと思っています。参照「2017年12月15日戦後の神社は…」

そして、政府は、明治維新以降行ってきた尊王、富国強兵の失敗の原因はどこにあるか、数の計算ができなかったからだと考えました。他の国の影響もある、経済のバブル期はおいといてもそんな感じがします。

その結果日本人は、正確な数を把握することに特別な思い入れを持つようになったと思います。

ものづくりの日本はそこから始まり、高度成長期の原動力になったと感じています。

今、プレイステーションにはまっていますが、子供が学校で習った数の実践版の数字の遊びだなと感じています。

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