昔は100円は大金だった

こんにちは、Keeyです(^^)
単刀直入に訊きますが、皆さんは100円は安いと思いますか?
それとも高いと思いますか?
高い、と思った方は、大正解です。
まあ、それは冗談ですが、そんな現代では小銭で手頃な価格として扱われている100円ですが、昔は相当な大金でした。以前、父親から聞いた話で昔の100円は小銭ではなくお札だったようで、それが10枚あれば何と、家が買えたというほどの大きいお金でした。そして、私が小学生の頃、今から40年前(昭和54年)にまだ独身で若い頃の女優の大竹しのぶさんが主演した「あゝ野麦峠」という映画が公開され、その中に100円女工になれば一人前だというのがあったからです。
この「あゝ野麦峠」という作品は、作家の山本茂実氏のノンフィクション文学を実写化したもので、物語の内容は明治時代から大正時代にかけて飛騨地方(岐阜県)に住んでいた、多くは10代の農家の娘たちが家計を助けるため、野麦峠(岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置する峠のこと)を越え、長野県の諏訪、岡谷の製糸工場に働きに出て、悪臭と熱気が漂うその工場で約15時間にも及ぶ長労働に耐えて就業していくというものです。この映画の中で、大竹しのぶさんは政井みねという主人公を演じています。政井みねさんは実在の人物で、日本の近代文化を陰で支えた、労働者の一人です。
無論、政井さんも、上記で触れたその岡谷の製糸工場に働きに出た方で、本人は何年かしてやっと一人前の100円女工になり(この時代の100円の金額は今で言うと約1~3千万円ぐらいで、生糸は高級な品物とされていた)、しかしその中で重度の胃腸炎に罹患してしまい、引き取りに来た兄の背中の中で息を引き取ります。わずか21年の生涯でした。彼女が最後に遺した言葉は「あぁ、飛騨が見える」だったそうです。
結構感動する作品なので、現代の人たちにもぜひ一度は観て頂きたいです。

話は変わりますが、大竹しのぶさんの出演した作品で他に印象的なのはやはり夫である、明石家さんまさんと共演したドラマの「男女7人夏物語」ですね。これは私が中学生の頃にやっていた番組なんですけど、まだ自分、未成年だったのに、毎週楽しみで夢中になってリアルタイムで観ていました。さすが、大人の恋、って感じでしたね。
この主題歌の石井明美さんが歌った「CHA-CHA-CHA」も、大ヒットしました。懐かしい・・・。今のドラマ、まったく疎いので、何がどう面白いかが分かりません。自分、<目で見る>より<耳で聴く>派ですね。なので、最近はほとんどラジオを聴いているか、もしくは音楽を聴いていることが多い毎日です。

では、今日はここまで。
See you~(^-^)ノ〃

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